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「信用と信頼の構築が第一」

16th プロジェクト

『建築・リフォーム・美装工事』の
『池田賢一郎』大和建匠プロジェクト

~私たちは常に真心を込め、お客様の笑顔を大切に信頼される企業を目指します。~

「信用と信頼の構築が第一」

皆様、はじめまして。大和建匠株式会社 代表取締役の池田賢一郎と申します。
私は、「信用と信頼を大切に」そして、「人間関係を丁寧に」をモットーとして生きて参りました。
2015年(平成27年)7月に、建築美装関連会社として大和建匠株式会社の前身会社を設立して以来、
様々な工事に携わり、現法人立ち上げ後は、建築リフォーム工事部門、美装工事部門と守備範囲を拡げながら、お客様のご要望をできる限り叶えることをモットーに、業務に取り組んでおります。
また、弊社は、社員それぞれの「ライフワークバランス」を尊重し、
社員とともに成長していく居心地のいい会社を目指して参りたいと考えております。
また、若いスタッフが核となってお客様に対し、「心」と「心」が通い合うサービスを提供しております。
常に学び続ける企業を目指し、「夢」「挑戦」「達成」を合言葉に実現可能をモットーに邁進して参ります。
今後とも、皆様の更なるご指導、ご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

起業家『池田賢一郎』の人生の振り返りと
これから活躍する若者の皆様に対するメッセージ

池田賢一郎物語

少~学生時代

1978年10月12日、奈良県山辺郡山添村に生まれる。幼少期は、自然が豊かな環境で育ち、水分補給のために畑のトマトやきゅうりを摘まんで食べるような、やんちゃでケガが耐えない子ども時代であったが、共働きの両親に代わって祖父母が、親代わりとなり、礼儀を中心に厳格に育ててくれた。そんな山添村生活であったが、ダム建設の立ち退きの為、小学校入学前に奈良県大和郡山市に、引越し、両親と姉、そして祖父母、親戚も合わせて9人家族となり、当時としても珍しかった大家族の中で育った。
今振り返ると、とにかく、祖父母や両親からは、礼儀や挨拶に関しては特に厳しくしつけられた記憶が残っている。例えば、晩御飯の時は、テレビを切り、正座で黙って食事をとる。また、家族間で挨拶をする習慣を身に着けるといったような教育を受けて育った。また、当時流行っていたファミコンなどゲーム機は一切買ってもらえなかったが、少林寺拳法やそろばん、少年野球など教育に関しては自分の希望を尊重し、お金をかけてくれていた。

小学校時代
幼稚園から小学校3年生頃まで習い事として「少林寺拳法」、小学校3年生から6年生までは少年野球に通わせてもらった。少林寺拳法から野球に変えたきっかけは単にテレビで観戦するプロ野球の巨人軍への子供ながらの憧れでからであった。少年野球に入団するためには、時間的に考えても少林寺拳法をやめなければいけなかった。子供ながらにいろんな葛藤の中で師範に退会のご挨拶に行ったわけであるが、その時、師範から非常に心に響く言葉をいただいた。それは、『力愛不二』(「力と愛を兼ね備えよ」)という、言葉で、子どもながらにも印象に残った。この言葉は、今までの私の人生の中において、常に自分の心の真ん中にある大切な言葉となっている。
その後、「野球」に打ち込み、厳しさと優しさを合わせ持った監督夫妻のお陰で、県大会準優勝という経験もできた。子どもの頃は正義感が強く、人が大好きで、友達も多かった。また、勉強は人並みではあったが、運動神経は周囲からも称えられるほどで、バスケットボール、キックベースから卓球まで、球技は何でもできた。

中学時代
入学して初めての体力測定で、県内でも有数のバレーボール部を指導している顧問の先生の目に留まり、勧められるままバレーボール部に入部した。「勝利至上主義」の指導の中、3年生のときには副キャプテンを務め、県大会準優勝の成績を修めることができ、「試合に勝つ快感と団体競技特有の一体感」の体験を通じて、「リーダーシップ」を身につけることもできた。

高校時代
京都に憧れて選んだ私立平安高校(現 龍谷大附属平安高校)に進学した。部活は弱小チームではあったが、輝いている1人の先輩の姿と、今まで経験したことのないような楽しいバレーボールをしていた部員の方の姿を見て、楽しみながら強くしていくというような別の視点に気づき、中学時代に引き続き「バレーボール部」に入部することを決意した。3年生になった時、キャプテンにも選ばれたが、成績は京都府大会において一回戦で勝つか負けるかのレベルであり、中学時代とは違った視点と経験を味わった。キャプテンとして、また、実質的に監督代行的な立場でバレーボールと向き合い、一部の部員との「熱量の違いの難しさ」をどのように克服し、チームを纏めていけばいいのかなど、悩むことも多く、ある意味、指導者に必要なマネジメント経験も積ませてもらった高校3年間であった。この経験は、今の社長業に通じるものがあり、貴重な経験であったと振り返る。
その後、大学進学を検討するわけであるが、親は、私学でも自分の行きたい大学に行けばいいと言ってくれたが、家庭が特に裕福ではなかったこともあり、比較的、授業料の安い公立大学である奈良県立大学を選択した。奈良県民のみ受験できる推薦入試に挑戦し、見事、合格通知をもらうことが出来た。

大学時代
男子校出身でスポーツと勉強の両立に打ち込んでいた真面目な高校時代の反動からか、アルバイトとバンド活動にも打ち込み、酒、タバコ、車、バイクに恋愛と、社会の楽しさを肌身で感じ、青春時代を謳歌することに励んだ。その中でも大学在学中の4年弱、朝4時より奈良中央卸売市場で毎日働いた経験は、大学時代の貴重な思い出となっている。
大学ではなんとか4回生まで進級できたが、卒業に必要な単位がかなり残っており、このままでは卒業が出来ないと悩んでいた。そんな中、たまたま、あるスナックで遊んでいる時、天理市にある会社の営業部長と知り合いとなった。親しくなり、現状の悩みを相談してみたらうちの会社に就職してはどうかとお誘いをいただくこととなる。現状を何とかしないといけないという思いと、早く社会に出たいとの思いも強かったこともあり、すぐに、大学を中途退学し、その会社に入社することを決意した。

会人時代

①製造会社勤務(約2年間)
大学を中退し、最初に正社員で働いたのは、半導体関連のエンボステープ作成の工場であった。「ライン業務」から「技術員」、「経理」、「営業」と順調に経験を積んでいったが、会社の業績が下がっていき、希望退職を募るような状況で、社員の給料も減給といった状況であった。そのタイミングで転職も考えたが、大学4回生の時、悩んでいた時、親身になって声をかけてくれた営業部長から、一緒に会社に残って助けてほしいと言われた為、一旦は、残ることを決意し、早朝の牛乳配達などの副業をすることにより減給分を補いながら解決方法を模索した。しかし、体力の限界に達し、退社を決意することとなる。

②佐川急便勤務(約9年間)
家族を養うため、業務は厳しいが、給料が高い運送会社、佐川急便に勤務した。十分な収入を得られていたが、「給料システム」が変更となり、営業努力があまり反映しなくなったことにより限界を感じ始め、その頃、以前より興味があり、現在の仕事にも通じる建築関連会社のお誘いも受け、新しい会社にお世話になることとした。

③建築関連会社勤務(約4年間)
社長の右腕として期待され、私自身もほぼ休日返上、朝も6時出社を4年間続け、「建築美装」の基本を学んだ。その後、若手の複数の友人より、是非とも会社を立ち上げて、雇って欲しいとの独立の依頼を受け、大いに悩んだが、信頼できる方の後押しもあり、独立の道を選択した。

和建匠株式会社起業~現在

平成27年7月に独立。最初は法人化せずに個人事業主として、5年程度経営をしていたが、「美装工事業」に加えて「建築リフォーム工事業」へと事業拡大することを決意。組織の規模拡大と、より安定した経営と社員確保のために必要なこととして、まずは法人化を目指すことであると考え、「大和建匠株式会社」として新たに出発することを決意。現在は、しっかりと経営理念と新たなビジョンを掲げ、前に進んでいきたいと考えている。
企業である限り、売上げを上げて収益を上げていくことは当然の使命であると考えているが、それ以上に、「仲間を大切にする」ここにも重きを置いて会社の成長に力を注いでいきたいと思う。
仲間を大切にしながら新たなステージで挑戦していけるように、人脈形成や社員教育などの分野にも力を注ぎ、社員や社員の家族すべてが自分の家族であるという気持ちでアットホームな雰囲気の会社に育てていきたい。また、関連業者を含め、関わっていただいている皆さんの気持ちを大切にしながら、常にWINWINの関係構築をモットーに会社経営に励みたいと思う。

大和建匠株式会社について

大和建匠株式会社の事業内容

建築リフォーム工事

・建築工事全般
・水廻り内装工事
・解体工事全般
・残置物撤去
・その他(まずはご相談ください)

美装工事

・新築、中古ハウススクリーニング
・床、水廻りコーティング
・店舗、オフィス、床メンテナンス
・エアコン分解洗浄
・消毒、害虫除去
・外壁特殊洗浄
・外壁コーティング
・その他(まずはご相談ください)

「起業家・池田賢一郎」の考える
起業家マインドとは何か

『人を大切にする心』と『前進あるのみ』

今までの様々な人生経験が、私の『起業家マインド』を作り上げた。その中でも、『人を大切にする心』と『前進あるのみ』。この2つは、起業家として絶対に欠かしてはいけない大切なものであると強く感じている。

これからのビジネス展開における
ビジョンについて

これからは事業拡大を行い、新築一戸建て建築や不動産業等にも業種を拡げ、元請会社として責任を担える会社に育てて生きたい。なぜなら、自社の社員や提携している会社に利益を与えていくためには、弊社自体の経営基盤をさらに固めていく必要があるからだ。
そのためにも、専門性の高い社員集団を育てること、さらには、信頼関係を築ける他社との業務提携にも、積極的に力を注いでいきたいと考えている。自社の社員を含め、関連会社とのコラボレーションの強化と絆、それこそが、お客様にとって最も安心してもらえる会社になるための第一歩であると考える。
社会貢献を目指して、全力で頑張っていきたい。

今後の夢と目標

会社の業績をあげることに全力を注いでいきたい。そのためにも私自身、社長として、これまで以上に、「誠実さ」と「利他の心」をもって仕事に取り組んで行きたいと思っている。
また、弊社の社風として、家庭的な温かさを持ちつつ、あらゆる方面の情報収集を行いながら、新しいことへ積極的に挑戦していきたいと思う。
そのためには、自社にスペシャリスト集団を作ることと、連携する他社との信頼関係を築くこと、これが第一だと思っている。

決意表明

人生も折り返し地点を過ぎました。
今までいろんな経験を積んできましたが、
この、大和建匠株式会社は私にとっての集大成の会社です。
これからも、なお一層、「夢」と「理想」を追い求めながら、
社員の幸せと社会貢献第一で励んで参ります。

池田 賢一郎

Profile

池田 賢一郎

誕生日:昭和53年10月12日 血液型:AB型 
奈良県大和郡山市出身

平成9年3月

私立龍谷大学附属平安高等学校 卒業

平成12年

奈良県立大学 商学部 商学科 商学コース 中途退学

職歴

・製造会社勤務(2年間)
・佐川急便勤務(9年間)
・建築関連会社勤務(4年間)
・個人事業主として(5年間)
・大和建匠株式会社創業 代表取締役社長就任

趣味

趣味

・バス釣り
・車
・ゴルフ

お気に入りのアイテム

お気に入りのアイテム❶

小さなメモ帳
この手帳は、仕事や生活をしている中で、これは素晴らしいという考えや、心に響いた言葉などを書き写し、自分自身の心に問いかけている大切な手帳です。

小さなメモ帳

お気に入りのアイテム❷

お客様にいただいた勝負ネクタイ
普段、連携している会社の社長様よりいただいたネクタイです。これは「勝負ネクタイ」として一生大切にしていきたいと思います。

お客様にいただいた勝負ネクタイ

座右の銘

『利他の心』
『実るほど頭の垂れる稲穂かな』

大和建匠株式会社並びに
池田賢一郎へのアクセス・お問い合わせについて

〒577-0831 大阪府東大阪市俊徳町4目10-21-105 【大和建匠株式会社】
TEL.06-7504-5644 FAX.06-7504-5688